育児と父親


(あっ、動いた、動いたわ!)
お腹の中で、小さい命が初めてピクッと動いたのを感じた時の感動・・・ 
その長男が中学2年になった今でも、その感動を私は忘れることが出来ません。マタニティードレスを揃えても、出産に関する雑誌を読んでいても、なかなか母となる実感が持てなかった私が、その胎動を感じた瞬間から、本当に「母」になる自分を自覚しました。
 そうです、母親は、昔で言えば十月十日(とつきとおか)、まさに自分の中で命を育み、毎日毎日生まれてくる我が子を待っています。母となる不安、果たして自分に立派に子供を育てられるかという不安・・・そんな不安を毎日感じながらも、お腹の中で元気に赤ちゃんが動くたび、すでに母親らしい顔、母親らしい声で、未だ見ぬ我が子に語りかけます。(まあまあ、今日も元気ね。はやく生まれてらっしゃい、はやくあなたのお顔が見たいわ・・・)
 
 しかし、その一方、父親はどうでしょうか?
にこやかに「いってらっしゃい!」と見送る妻の、日に日に大きくなっていくお腹を思い出し、満員電車の中で揺られながら(むー、父になるんだよな・・・父親・・・パパ・・・お父さん・・・とうちゃん・・・)などと心の中でつぶやいても、「○○さん、もうあと3ヶ月ですね。奥さん、順調ですか?」などと、会社で声をかけられても、今一つ実感がわかない。(子供ねえ、そりゃあ、楽しみにしてるんだよね、僕だって。でも、生まれた後は、どんな生活になるんだろう?もう、あいつと外食は無理かなあ?そう、預けりゃいいんだな、週に1回くらいは。来年はスキーは行けるかな?いやあ、それはちょっと無理か・・・)なんて。
 
 そして出産。生まれたその時から、お母さんのドタバタ奮闘記は始まります。おなかがすいた・・と言っては泣き、オシッコをした・・・と言っては泣き、眠いのに寝つけない・・・と言っては泣き、何となく泣きたくなったから・・・と泣き・・・ お母さんは大忙し。それなのに、やっぱり突然の環境の変化に戸惑い、なかなかスムーズに父としての生活にはついてはいけない新米パパ。もうすでに、その頃から少しずつ「妻と夫」としてではなく、「母と父」の間には、気持ちの行き違い、意識のズレが生じ始めているのです。

 
昨年までは、毎年新しい流行の水着を買い求め、海に行くのを楽しみにしていたA子さん。雪が降れば最新のスキーウエアを調達し、さっさとロッジの予約をしていたB子さん。ところが、今年はそれどころではありません。毎日、朝から晩まで(夜中まで?)、ほっとする自分の時間はほとんどなく、ひたすら小さな王様、王女様に振り回されています。そんなこんなで毎日泣きたい思いをしながらもがんばって、赤ちゃんは無事に1才に。
ところがところが・・・今度は赤ちゃんは「いたずら怪獣」に変身ーー!!
 

 私ごとで恐縮ですが、下の子が生まれた時、上の子供は2才11ヶ月。まさに怪獣期。幸い、妹を舐めるようにかわいがり、決していじめたりしない子供ではありましたが、やはり下の子が幼稚園に行くまでの3年間は、毎日が戦争のようでした。テレビと言えば朝から晩まで教育テレビの幼児向け番組、ディズニーのアニメーション・・・ 
 当時の私の夢は、駅のそばのコーヒー専門店で窓の外を通る人を眺めながら1人でゆっくりとコーヒーを飲むこと、電車の中で雑誌や新刊書の吊り広告を読むこと、昔のように長い爪にきれいな色のマニキュアを塗ること、ヒールのあるパンプスを履いてショーウィンドウに映る自分の姿をちらっと見ること・・・今から思えば、何とささやかな夢だったことでしょう。

 
 世の中の父親は、1. ○○をするべし。2. ××を手伝うべし。3. △△を交代でするべし。etc.etc.
そんな具体的なものはありません。それは各家庭によっていろいろのはず。(たまにはオムツを替えて欲しいなあ)と思っているママもいれば、(オムツなんていいの、そのかわり週に2回くらいはお風呂に入れてやって欲しい)、というママもいるでしょう。(ううん、私は赤ちゃんの事は大丈夫。そのかわりに週末に私に代わってお買いものをしてきてくれたらうれしいな。)というママもいるでしょうね。
 要は、この時期の『父親の育児』とは、実際に直接赤ちゃんや幼児の面倒を見ることだけではなく、大切なことは「忙しく一日を送るママを気遣い、ママを手伝ってあげること」なのですね。
 お母さんは、母になった(母になると知った)その日から、滅私奉子(滅私奉公ではないく!)しているのです。専業主婦の場合、妊娠すると普段のちょっとしたお買いもの以外は、なかなか以前のように外界との接点もなく、当然生まれた後は育児そのものに翻弄されます。仕事を持つ妊婦さん、仕事を続けながら乳幼児を育てているお母さんの場合は、まずは何よりも肉体的な疲労が一番。預けている子供を思いながら仕事をする心労もあるでしょう。けれど、そんな中でも救いになっていることは、仕事に打ち込んでいる時には、ほんの短い時間でも、「子供以外のこと」を考えている・・・この事は実は大きな救いなのです。
 しかし、最も夫や世間から(大変だろうなあ・・・)としみじみと気にかけてもらえず、それでいて一番ストレスを貯めているのは、実は一日中赤ちゃんと時間を送っているお母さん、怪獣と化した我が子を相手に孤軍奮闘するお母さんなのですね。
 
 いかがですか?考えたことはありますか?1人の女性としてでもなく、妻としてでもなく、24時間「母」として暮らしているという事実・・・ 
 確かに、昔はみんなそうでした。もちろん、出産後もご自分のキャリアを生かして仕事を続ける女性が増えた現代でも、未だに多くの日本女性は、結婚して子供を持つと、こうして育児に明け暮れて暮らしています。そして、そんな妻の大変さを、どれほど世の中の「新米パパ」は理解してくれているでしょうか?いえ、理解は出来ないまでも、理解しようと努めてくれているでしょうか?

 どうぞ世の中の夫の皆さん、あなたの妻を、たまには1人の女性として、妻として見てあげてください。そして、女性としての話し、妻としての話しをさせてあげてください。育児だけに携わって毎日を暮らしていると、ひどく社会から取り残されているように思ってしまうものです。 
 
今の時代、テレビをつければ世界中のニュースが駆けめぐり、渋谷の様子も、銀座の風景も見られます。インターネットだってあります。しかし、そのテレビの中の世界まで距離的にはそんなに遠くなくても、実際には子育てに追われているお母さん達とテレビの世界とは、とてつもなく遠い・・・遠いと感じて暮らしているのです。
 何も、週に1度ベビーシッターさんにお願いしなくても(子供を預ける、という文化のない日本では、ベビーシッター代は非常に高価です)、妻のがんばりを労うために無理して高いお土産を買って帰らなくても、『夫として、心からの愛情と育児の大変さへの理解をもって、優しい気持ちで妻に接してあげてください』
 
「ねえ、今日はね、この子ったら一日中泣いてたのよ。さすがにイヤになっちゃう・・・」言った時、「何言ってんだよ、赤ちゃんってのは泣くのが商売だろ。○○さんちだって、そうだって言ってたよ。みんなそうなんだって。うちの子に限ったこっちゃないぜ。」などと軽くあしらわないでください。

「今日、離乳食を食べさせたらね、口のまわりに小さなブツブツができたのよ。何だと思う?お医者さんに行ったほうがいいかしら・・・」と心配顔で話したら、
「僕は小児科医じゃないんだもん、わかんないだろ、そんなこと。そんなに気になるんだったら、明日行けばいいじゃない。ちょっとおまえって、神経質なんじゃなーい?」
こんな感じでは、お母さんはあまりにかわいそうです・・・
 
 子供は2人の子供です。たまたま、動物の世界では、子供を育てるのは物理的に(授乳という意味で)お母さんの仕事となっているだけ。母性本能とは言うものの、人間のように本能だけに支配されて生きるのではなくなった高度な動物にとっての育児は、母性本能ですべて処理できない問題を多く含んでいます。
お父さん、息子と公園でキャッチボールするのを夢見る前に、娘とベンチでアイスクリームを食べることを楽しみにする前に、お父さんのすべきこと、それは、お母さんの「心をサポートし、愛情で包んであげる」ことですよ!!

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