心を育てる ― 本当の家庭教育 

「賢い子供に育てたいんです。どんなことをすれば良いですか?」
 「小さい頃からのおけいこごとは、効果的ですか?」
 「ひらがなや数字は、少しでも早く教えるほうがいいのですか?」
 「将来、私立の小学校を考えるかもしれません。何をさせるのが一番いいですか?」

 私が皆さんからよく受ける質問です。こういうふうに文字にしてしまうと、何となく滑稽に思えることもありますが、かけがえのない我が子に、いっぱいの愛情を注ぎ、少しでも子供のためになることをしてやりたい!そう考えることは、両親の当然の気持ちであり、決して滑稽な質問ではありません。私自身2人の子供の母親として、やはり彼らが幼い時に真剣に考えた事柄です。

 それではここで、私と一緒に「賢い子供」について考えみましょう。「賢い子供」のイメージは、きっと人それぞれ違うでしょうね。それに、「賢い」というイメージやその定義は、時代によっても違ってきます。では、情報化の進んだ現代、どんな子供が、世の中のお父様、お母様から(ほー、本当に賢いんだねえ・・・)と感じてもらうのか、いくつか考えていきましょう。

  まだ幼いのに本が読めて(字が読める)、自分の名前程度は書ける(ひらがなが書ける)。小さい頃から熱心に楽器の練習をしている(上手にピアノやヴァイオリンが弾ける)。水を恐がらない(幼稚園児でも、スイミングスクールでクロールくらいは泳げるようになっている)。絵を描いたり、折り紙などで工作をしたり、粘土細工が得意(幼い頃から造形教室のような所に通い、想像力、創造力を養っている)。コンピューターの、子供向けの簡単なソフトなら自由に扱える。  etc.

 いかがですか?あなたのイメージと何個かは同じですか?
確かに、こういうお子さんは10年前に比べると、ぐーんと増えました。「まあ、すごいわねえ・・・」と本気で私が感激してしまう「スーパーチャイルド」が今の時代にはたくさんいます。しかし、こういうことだけが、「賢さ」なのでしょうか?これを読んだ皆さんも、(むー、確かにすごい!)と思いつつも、やっぱりこれだけじゃいけないよな・・・)と思っていることでしょう。

 美しいものを見て「ああ、本当に美しい!」と感じる感性、傷ついたものを見て(かわいそう・・・)と哀れみ、自分がしてあげられることは無いのだろうか?と思うやさしい気持ち、楽しかった一日が終わってベッドに横になった時、(ああ、楽しい一日だった!今日も一日、どうもありがとう。)とその日に感謝をする気持ち、などなど。
 こういうことは、勉強のように机に座って、先生と呼ばれる人から「教えられることによって、学ぶ」ものではありません。これらはすべて、子供が幼い頃から、家庭の中で、一番身近なご両親やまわりの大人から自然に身につけ、育まれていく「心」です。
 
 
たとえば、こんなこと・・・・ 
 季節は早春。3月に入って、まだまだ寒い日が続いていながらも、どこかに春の息吹が感じられるようになります。大地はまだ冬の色。でも、よく目を懲らして見てみると・・・ほら、固い地面のあちらこちらに、ほら、黄緑色の小さな新芽が芽吹いていますよ。あっ、あちらの桜の枝も、昨日までは裸の枝だったはずなのに、まあ、今日はピンク色のちっちゃな蕾がついていますよ・・・
「すごいはね、自然の力って。もう春がそこまで来ているのね。もうすぐ桜や、パンジーやチューリップ、春のお花が咲き乱れる季節がやってくるのよ・・・」

「・・・○○ちゃん、あなたがあんなに大好きで、毎日抱っこしていたぬいぐるみのくまちゃん、今朝お母さんが気づくと腕の後ろ側がほころびていたの。ママ病院に入院させてあげてちょうだいね、少し寂しいかもしれないけれど、今日はこっそりママがお医者様になって元通りの元気なくまちゃんに治してあげましょう。そしてあなたのところに帰してあげましょうね。」
                            
 
まあ、○○ちゃん、あなたのお気に入りのそのお靴、もう窮屈になっているのじゃないかしら?あなたは毎日どんどん大きくなっていっているのねえ、パパもママもうれしいわ、とっても。さあ、そのお靴に「長い間ありがとう!」って言ってあげましょうね。そしてそのお靴とさよならをしましょう、長い間ご苦労様ってね・・・」

 幼児期のお子様に一番大切なこと、それは、知識や技術を習得させることではありません。
それらは確かにお子様の様々な部分の能力を開発するために大きく役立つものではありますが、それでもやはり、一番大切なものは他にあり、それらは常に「その次」にくるものなのです。言い換えてみれば、幼い時からどんなに上手にピアノが弾けても、一生懸命にビスケットのかけらを運ぶアリを見て、「私、こんなの気持ち悪いから嫌ーい!」と、じゃーっと靴で踏みつぶすような子供だったとしたら、どうでしょうか?
すらすらと文字が読め、児童書を十分に読みこなすことが出来ても、空に向かって一生懸命に咲く花を、いとも簡単に、意味もなくむしり取ってしまう子供になっていたら、どうでしょうか?

 今ここで私がお話に登場させた「優秀でありながら心は貧相な、未熟な子供達」は、きっと幼い頃から「知識と技術」を磨くことのみに時間を費やし、その出来不出来という結果だけで人間性は評価されるものだ、と錯覚した親達のもとに育った、かわいそうな子供達だったのだ、と思います。しかし、そういう子供になってしまったことについては、実際にはこの子達に責任はなく、そういうふうに育ててしまった親たちにこそ最大の責任があるのです。そう、このような子供は被害者なのですよね。



 「心を育てる」これは一人の人間を世の中に送り出した「親」という立場の人間が、何より大切に感じ、責任を持って子供になすべき「真の家庭教育」だと私は考えています。そして残念ながら今、そのことに気づき、本当の「家庭教育」に一生懸命にに取り組んでいるご家庭、ご両親は決して多いとは言えません。

 今、小学校や中学校、様々な教育の現場で、学級崩壊などの深刻な問題が起こっています。すべてがそうである、とは言えませんが、このような教育環境の中で起こる問題は、「子供の未成熟から生まれる問題」が多くあることは確かです。大変悲しいことですが、そういう事が起こる芽は、本当は教育機関の中に問題があるのではなく(もちろんそういう場合もありますが)、実際には幼い頃からの家庭教育、家庭環境に問題の根元があったはずです。
10才を過ぎて、問題が起きる時期になって「君たちはいくら勉強が出来ても、人としては未成熟だ!心が育っていない!」などと怒鳴り、悲嘆にくれても、何の解決にもなりません。

 どうぞお父様、お母様、長い目でお子様の成長を見つめ「人として生きていくための、心を育てる教育」をご家庭で認識してください。そして、父親として母親として、大切なお子様の、二度と戻ってはこない愛らしい幼い時期に関わり、お子様と一緒に驚き、喜び、悲しみ、感動してください。

「賢い子供」それは「心の豊かな子」です。哲学的、かつ遠回りに思える「心の教育」こそ、賢い子供を育てる一番の近道・・・そう思いませんか?

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