本を読んであげましょう


 むかーしむかし、私の息子が小学生の頃、1人で野球のテレビゲームをしているのを見て、思いました。息子はバッター、相手チームはコンピューター。155キロの(画面の中に表示)豪速球を投げてきたピッチャーに危うく三振を取られそうになった時、カッキイーン(これも、とても良い音が画面から聞こえる)、バッターは打ちました。球場は大歓声。応援団の太鼓や笛の音。「やった!やった!さよならホームランです!!さよならホームラーーーン!」と実況アナウンサーの声。画面変わるとスポーツ新聞の見出し、「○○○○、豪快さよならホームラン!!」でかでかと息子の名前。(これも画面の中で)
 それは、私が子供の頃にウキウキと友達と一緒にやった野球盤ゲームとは、同じ「野球ゲーム」でありながら、全く似て非なるものでした。
 あの頃、私が小さな金属のボールを小指ほどの長さの、野球盤に取り付けた単純なバネ仕掛けのバットで「くるりっピン」と手から離して打った時には、友達の「うおー、いいぞー!」という声以外には何も聞こえませんでした。けれど、私も友達も、確かにそこに見ていたのです。たくさんの観衆の前でダイヤモンドをまわる自分の姿、スタンドに立ち上がって拍手をする人達・・・その歓声、その熱気・・・見えないものを見て、聞こえないものを聞いていたのでした。


 今の子供達は、言語力の低下とともに、想像力の低下も深刻です。生まれた時からテレビやビデオの映像で育ち、お話はすなわち「アニメーション」であったり「映画」であったり・・・「おはなし」は聞くと同時に子供達の目の前で映像化されています。
 
昔のように、枕元で母が語る「ウ・チ・デ・ノ・コ・ヅ・チ」や「タ・マ・テ・バ・コ」というものを、(それはいったい何だろう・・・)と呪文のように頭の中でつぶやき、睡魔の中でとんでもないものを想像したりすることもないのです。しかし、どんなに美しい映像でも、どんなに鮮やかな色彩感覚に富んだ本であっても、いつもそんなことだけでいいのでしょうか?
 
 先だって、幼稚園児と一緒に「カメ」の話をしていた時のことです。ある男の子が縁日でミドリガメを買ったというのです。そこで、カメの大きさについての話になりました。ある子が「カメは、手にのせられる位の大きさだよ!」と言うと(ミドリガメを買った子)、ある子は「大人の浦島太郎が乗れるのだから、きっと大きいものいるだろう・・・」と言いました。すると、1人の女の子が横から、「違う違う、浦島太郎のカメは、本当はこのくらいなのよ。(手を広げて)だって、私が持ってるビデオの浦島太郎、2本ともその大きさだったもん。」
これは意外にもまわりの子供達に説得力があって、せっかくいろいろと想像して、意見を言っていた子達も、「ふーん、そうなんだー・・・」と納得し、何も言わなくなってしまいました。何となく、ちょっと残念でした。

 ここ数年、幼稚園児のお母様方に、「読み聞かせをしてあげてくださいね。」とお話をすると、間髪を入れず出る意見はこうです。「うちの子は5歳なんですが、もうひらがなが読めますので、自分で自由に好きな本と読んでしまうのです。それからは、私が読むのをいやがりまして・・・」
 もちろん、活字離れが叫ばれる今、子供自身が本に興味を持つことは大変ステキな事です。
しかし、それはそれ。
 
ひらがなが読めるようになったとは言っても、たぶんその頃は子供が絵本を広げても「も・も・た・ろ・う・は・き・び・だ・ん・ご・を・も・っ・て・・・・」というふうに読むことが多く、これでは読んでいる本人が、意味が十分に理解できるとは思えません。このような状態は、決して「本を読んでいる」のではなくて、ひらがなの羅列を読んでいるだけのことなのです。ですから、こういう状態では、どんなにひらがなやカタカナが読めても、文章を読み、なおかつその意味をたどっていっている、とは言えません。

 読み聞かせをする意味、それはたんに「お話をきかせてあげる」ということだけではなく、耳で聞いた物語(言葉・文章)を、子供が自分の頭の中で想像して映像にし、実際には見えてはいない世界を、頭の中の浮かび上がらせ、展開させていくことです。
 
ですから、どんなにすらすらと字が読めるようになったとしても、こういう作業のことを考えれば、「読む」ことと「聞かせてもらうこと」とは全く別のことなのですね。想像することは、とてもクリエイティブな作業です。
よく親の子供への願いの中に『豊かな発想を持って・・・』ということがあります。しかし、豊かに発想するためには、それなりの機会を与え、発想する力を育てなければなりません。それこそ、「ウ・チ・デ・ノ・コ・ヅ・チ」がそういう名前のお化けであったり、「タ・マ・テ・バ・コ」がボールを入れる箱などと想像したとしてもいいじゃないですか?「それ、なあに?」とたずねて、やっと正しいものがわかったとしても、最初から目の前に何に使うのかわからない道具としてジャーンと目の前にあらわれるよりも、ずっと自然かもしれません。そして、「何?」と聞かれ、「それはね・・」という母と子の会話も生まれます。一石二鳥ですよね。

 そして、様々なジャンルの本を読んであげましょう。それこそ、今は子供向けのたくさんの本が出ています。昔のように日本や外国の昔話、おとぎ話ばかりでなく、現代の優秀な児童文学家がお書きになった楽しい本もたくさんあります。読んであげる本には偏りをなくし、たまには昔話も読んできかせてあげて、「おばあちゃまが子供の頃はね、洗濯をすると言っても洗濯機なんかはなくてね・・・」とお話してあげるというのもいいですね。「・・・むかし、むかしあるところに・・・」というのは一つの呪文のようなもので、ほとんどの子供達は(それって何だろうなあ・・・)と聞いているのです。そんな時、様々に興味が持てるように話してあげることもお母様の知恵。きっと、もっともっと興味を持って、子供は昔話を聞いてくれるでしょう。
 創造力、想像力、こんなことから養ってあげることが出来るのですよ、お母さん!!

 
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