気づかされた「やさしさ」 


 「優しい心のある子供になって欲しい」「人に対して優しく出来る子供になって欲しい」よく御両親がおっしゃる言葉です。幼稚園や小学校受験をするご家庭で、考査のための願書の中にも、何度も登場する言葉。しかし、いったい「優しさ」とは、どういう事なのでしょう?どういう事をイメージして、人は「優しさ」と考えているのでしょうね。
 私はマンション住まいをしています。横浜市の私の住んでいる地域では、ゴミ収集車は週3回、月、水、金にやってきます。しかし、私のマンションでは、ゴミの収集日に関係なく、粗大ゴミ以外はいつでも指定されたゴミ置き場に出しても良い、ということになっています。入居以来17年、こういう気軽さは入居者のライフスタイルになっていました。

 ところが、2ヶ月ほど前にマンションの清掃員の方が変わりました。マンションの住人は(あー、新しいおじさんになったんだわ)という感じで、お目にかかるといつも通りにごあいさつをかわしていたのでした。
 ある日、私がいつものように自分の出がけにゴミを出しに行くと、その新しい清掃員の方がゴミの部屋からぬっと顔を出し、とてもイヤな顔をなさって、「奥さん、困るねえ、こんな日にゴミ出されちゃあ... 今日は火曜日ですよ。」とご注意を受けました。私としては(???)という感じでした。心の中で(もしかしたら、マンションの規則が変わって、ゴミの日以外には出してはいけない規則が出来たんだっけ?)と急に不安になり、ただただ、その時はお詫びをした上でゴミを置かせていただき、その場を離れました。

 それから数日後、古くからの入居者の間で、『ゴミを収集日以外に出したら注意された』『収集車の来た後でゴミを捨てたら強く叱られた』という声を聞くようになりました。私としては(ふーん、注意されたのは私だけじゃなかったんだ...)と思い、なぜか少し安心したのですが...入居者は一様に不満のようでした。
 『指定日にとらわれることなく、いつでも自由にゴミが出せるという気楽さは、このマンションに住む良さ、大きなメリットの一つ。規則が変わったわけでもないのに、清掃員に注意され、住人がそのたびにイヤな思いをするのはおかしいのではないか?』確かに私もそうだなあ、と思いました。

 その数日後、管理事務所の方とお話する機会があり、少し新しい清掃員の方のお話を聞かせていただきました。Sさんというあの新しい清掃員の方が非常に真面目で仕事熱心であること、ゴミの管理に精通し、きちんと処理、処置をしてくださっている事を聞かされました。そういう言えば、その新しい方に替わってから、マンションのゴミを入れるための大きなポリバケツが、収集車が帰るたびに毎回ピカピカにきれいに水洗いされて、整頓されている事、収集日以外の日にはゴミの部屋に溢れるようになっていたゴミが、いつも入居者が捨てやすいようにときちんと整理されていた事...そういう事を思い出しました。

 Sさんはちょっと強面で、言葉も多少ぞんざいですから、ご注意を受けると少し驚いたり、少し気分を害したりしてしまいますが、マンションの規則云々という以前に、私も含めた住人があまりに「ゴミ」に対して無頓着であった事も確かだなあ...と、きれいに水洗いされたたくさんのポリバケツを見て、私はあらためて感じたのでした。この冬の寒い時期、10個を越すたくさんの大きなバケツを洗うことは、お仕事とは言え、大変な作業であるに違いありません。
 ゴミ収集車が来る時間は8時45分頃。家族を送り出し、朝食の後片づけをして、洗濯を干し、身繕いをして...8時45分に合わせてゴミを出す事はそれほどむずかしい事ではありません。自分の朝の仕事の順番を入れ替えてみれば、その時間にゴミを捨てに出ることは不可能ではありません。

 そこで、一度私は8時半にゴミを持って、ゴミ捨ての部屋ではなく、マンションのゴミ収集車の来る場所まで捨てに行きました。すでにそこにはゴミが満載された大きなポリバケツが何個もきちんと並べられ、カラスよけのネットがかぶされてありました。
 ネットをあげて、その中にゴミを捨てて自宅に引き返そうとしたところ、私はばったり「強面のSさん」と出くわしたのでした。
「まあ、Sさん、おはようございます!」
「あー、奥さん、おはようございます。向こうにゴミ出してくれたんだあ。悪いねえ、助かっちゃうよ。今日は天気、良さそうだね。」

 Sさんは笑顔でそう言って、ちょっと頭を下げ、さっさと中庭の落ち葉の掃除に行かれました。
 自宅に戻った私は、ベランダで洗濯を干しながら、手を休ませることなく次々と仕事を見つけてはお掃除に励んでいるSさんの姿を眺めながら、とっても晴れ晴れとした気持ちになりました。

 今では、私はゴミは月、水、金の朝8時半になるとせっせと出しに行き、そのたびに「おはようございます!」「あー奥さん、悪いねえ。今日は寒いよ、風邪ひかんようにねえ・・・」などと、明るい会話と清々しい気持ちを味わっています。その時の私の心は自然と和み、その時私がSさんと交わす会話は、私の「優しい心」から発せられる自然な「温かい言葉」です。

 もし未だに私が『マンションの規則が変わったわけではないでしょう?規則でもないのに、あの人にそんなに偉そうに言われる事ないわよねえ・・・』などと顔をしかめて思っていたとしたら、きっとこういう気持ちの和む会話をSさんと交わすことは出来なかったでしょうし、私の心はゴミを出すたびにささくれだっていったでしょう。

 「優しさ」を学ぶ術は、どこにでもころがっているのですね。そして、優しさはちょっとした自分の努力や我慢、ちょっとした気遣い、そういうことから自然に生まれ、育っていくものなのだな...とあらためて感じました。

 動物を大事にしましょう!お花を大事にしましょう!お年寄りに親切にしましょう!そういう事をスローガンのように掲げて、そういうことに義務感で細心の注意を払い、子供達に実行させたとしても、実際には禁止型の押しつけや、義務感からは本当の優しさなどは育たないのかもしれません。
 まずは親の心を柔らかくする... そして、そういう柔らかい心で我が子だけではなく、万物に愛情を持って接していると、きっとその「心」は我が子に伝わる... そう思えてなりません。

BACK